かあいがもん「お父さんの日記」

男の子二人の父親が日々の悶々を綴ってます。

自分の体は本当に自分のモノなのだろうか?だって「自分の」と言ってる割に思い通りにならない事が多いじゃん

わたくし、昔から健康に関しては息子達にちょい言ってました。

 

「いいか、何をするにしても、一に健康、ニに健康だ、精神と身体が健康であれば人生は大概なんとかなる、自分の身体は大事にするんだ

 

と。

 

でも最近、言っていてふと思ったのです。

 

そもそも何故に自分の、と言ってる身体なのに、何で自分の思い通りにならんのだ?

 

うんこしたくなる時間はわからないし、風邪はひくし、身体の異変を無視してると不調になるし、コンビニ行くと勝手にエロ本に目がいってしまうし、シワは増えるし、髪の毛は減るし、などなど、もう挙げればキリがなく自分の意思とは反して思い通りにならないモノがある。

 

まぁ、「自分の」と付けてるモノで思い通りになる事はほぼほぼないですけど、自分の子供とか、自分の妻とか、自分の彼氏、自分の彼女とか。

 

この「自分の」ってつける事で何かおかしな事になってるのでは無いか、と思うのです。

 

なんか「自分の」って言葉をつけるだけで自分の思い通りになると錯覚してしまっているのでは無いかと。

 

 

親が「自分の身体なんだから大事にしなさい」と言っても

 

子供は「自分の身体なんだからどうしようと勝手だろ」

 

と、親も子供も自分のモノだから何とか出来ると思っていると、この様な不毛なやりとりが生まれるのではないか、と思ったのです、わたくし。

 

なので言い方を考えてみた。

 

「いいか、お前が自分のと思っている身体は、もしかしたらお前の考える自分のモノでは無いかもしれない。

つまり、父さんの考え方としては、肉体と精神は別、言い換えれば身体と心は元々はであって、生まれた時に自分の心を入れる入れ物として誰からか与えて貰っている、もしくは授かったモノかもしれないと思うのだよ。それは母親ではなく、何かもっと偉大な存在から。母親もまた親から生まれて来てる訳だから。辿っていったら、じゃ、元々は一体誰が肉体を与えてくれたんだ?と考え始めてしまうし、死んだら肉体は無くなって自分はどうなるんだ?と誰もわからない事になったしまうから、それは置いておいて、自分の心と身体が繋がっていないと自分の身体は思う様にはならないから、自分の身体をある程度コントロールするには自分の身体と心をつげる必要があると思うのだよ。

そもそも世の中に存在している物質で完全に自分のモノというのは存在しないのではないか?と、思う考え方が前提にあった方が良いのかとも思う。車でも家でも、買えば自分のモノの言うけれど、売れば人のモノになってしまう、彼女、彼氏も付き合っていれば自分の彼氏、彼女となるが別れてしまえば他人の彼女、彼氏になる。自分の夫、妻、もそうだ。全てにおいて、自分の、と言ってるモノで完全なモノは無いと思うのだよ。自分の身体も死んでしまえば灰になり全て自分のモノではなくなるし。

でも、比較的自分の思い通りに出来る可能性があるものが、自分の精神と肉体なのではないかと思うのだよ。自分の肉体の事を理解して、心と身体が完全に繋がれば、心で考えた楽しい事を肉体を通じて沢山できると思う。しかし、心と身体が別だと身体を不調にしてしまい、思い通りに行かず、結果、心まで不調になって、更に身体も不調になると言うスパイラルになってしまうと思う。だから、自分の身体は自分のモノと考えるより、この世で生きる為に与えて貰ったモノと思い、常に気配ってあげた方が良いと思う。身体は言葉は発しないが、シグナルは沢山発信する。食べ過ぎたら、お腹は痛くなるし、考え過ぎたら頭は痛くなるし、働き過ぎたら、体調崩すし、そんな感じで身体が訴えて来てくれる事を聞く事が、心と身体を繋げる一歩だと思うのだよ。身体のシグナルを無視し続けると身体も「このご主人はわからんようだからもう少し強めのシグナルにするか、身を持って分からせるしかない様だな」となり大病してしまうのかもしれない。恐らくこれは一人一人違うから自分でしかその身体は理解する事が出来ないと思う。だから唯一理解する事の出来る自分が、自分に与えられた身体を理解するしかないのだと思うのだよ。

つまり、心と身体は気を抜くとすぐバラバラになるから、身体のシグナルはしっかり聞くんだぞ

 

と。

 

 長えぇ、、、、そして理解がより困難になった、、。

 

多分、15歳の次男にこれを言ったら

 

 

「俺の身体のシグナルが美味いものを食いたいと言ってる、腹減ったぁぁ!だ肉が食いてぇ!」

 

と、今日は言いそうだな、、、。

 

おわり。